金髪に出逢うまで

 

 

何にもやり遂げられない自分‥

どうせ自分なんか‥

人や世の中が怖い‥

人の顔色ばかり窺って、何が正しいのか、何がダメなのか、

何をしたら、嫌われ、何をしなかったら、愛されるのか、

自分の欠点探しばかりして、

回避行動ばかりに走っていました。

 

回避行動とは、一種のサバイバル。

生き残るための行動であって、よりよくあろう、という成長や開花のエネルギーとは正反対です。

 

 

サバイバルに疲れると、

自分の自慢できるところはないかとウロウロと探し出し、

自分のエゴに餌をやって、束の間の逃避行動で心の休息を得る‥

 

自分を、生かさぬよう、殺さぬように、してきたと思います。

 

 

アクセルとブレーキを同時にベタ踏みしているような、

自己否定と自己憐憫と、葛藤まるけの私でした。

 

 

 

20歳のころ、金髪のショートヘアにしてみたい!と思ったことがありました。

でも、「女は、黒髪の長い髪!」という父の言葉、いつ聞いたかもはっきり覚えていないような、そんな幻のような言葉が妙に頭にこびりついていました。

黒髪のままがいいんだ、生まれ持った髪色をがいちばん素晴らしいと思えないのはダメだ、素晴らしいと思えるようにならなくっちゃと、金髪への想いを封印していました。

 

 

それ以来、黒髪のままで、自分が挑戦できるありとあらゆる髪型を試してきました。
ロングのカーリーヘア、お尻より長いストレートヘアからベリーショート、アシンメトリーな髪型などなど。

 

40歳くらいになると、黒髪から逸れて、ザ・茶髪をやったこともありましたが、

金髪にすることだけはどうにも憚られ、

これくらいのヘアマニュキアなら許されるんじゃないか・・今思うとそんなおかしな納得の仕方をしていました。

 

 

 

それらすべてが「2番」や「3番」か、それ以下の「やってみたい」にすぎなかった。

それくらいならら許されるかばかり気にして、

ずっと自分を誤魔化してきたのです。

 

 

 

そんな年月を経て、ある日、ある方に、「あなたのいちばん好きな車は何?」と聞かれました。

その時、頭が真っ白になりました。


いちばんって、なに???


え?自分の好きな車だよ?

わかんないの?

そんなの、すぐ出るってもんでしょ。


先生に突っ込まれるほど訳がわからなくなった・・


あまりに浮かんでこなくて、

自分の一番好きなものがこんなにわからないなんて、なんて心の貧しいことなのかと思った。
自分のことを、心が、感性が豊かな方だと信じて、なんなら、自負していたくらいだったのに・・

 

その時、押し殺してきた金髪への想いが、「私の一番好きな車」といっしょに絞り出されてきた・・

あ・・私、金髪にしてみたかったんだ。

一番したい髪型って、金髪だったんだ。

 

 


いったん気づいてみれば、

何十年も金髪にしないできたことが、不思議でならなくなりました。

早速ブリーチの得意そうな美容室を探すと、家から車で10分くらいの近場に。
数日後、そちらで、初めてブリーチを体験することに。

 

ブリーチが済んで、シャンプー台から鏡の前に戻って、

タオルを取った途端、
見慣れないはずの金髪の自分が、もう瞬間、一番見慣れた自分だと思った。

初めてお会いしたのに、そのスタイリストさんは、「お母さんに見せたかったですね・・」と。

思わず、涙がこぼれてしまいました。
もっと早く、”自分の一番”に気づいていたら、父母が生きているうちに金髪にできていたら、彼らをもっと自由な生き方にいざなえていたかもしれない、そうしたら、彼らは今も元気で生きていたかもしれない・・
そんなことまで思い浮かんできました。


 

人は、口で言うことは、本心でないこともしばしばあります。

本人もそれに気づけていないことだってザラにあったりします。

 

女は黒髪の長い髪!という父の言葉も、何か、その瞬間の思いつきなだけだったかもしれない。

それを間に受けた私の30年間。

 

 

人間て、奥深い生きものですね・・

 

 

 

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