国登録有形文化財 建物特別公開「文化財の音景vol.5  みちしるべを頼りに」

2019年 愛知県国登録有形文化財 建物特別公開「文化財の音景vol.4  みちしるべを頼りに」

おかげさまで、たくさんの皆様にご観覧いただき、

心底嬉しく、そして、心底意義深い3日間となりました。

心より御礼申し上げます。

 

こちらのページでは、その記録として、会期前〜後の所感、当日掲示しましたご挨拶やキャプション、主催者や作家たちが撮った写真などを掲載させていただいております。

当日の現場の雰囲気を少しでも感じていただければ嬉しく思います。 

 

 

※催事のフォトギャラリーは、このページ後半に掲載しております。

 

書描の初期の作品を今回久しぶりに出した。

夫が木戸を取った方がすっきりしていい、というので、なるほどと思いそこにこの紗の作品を垂らすことにした。

 

直子さんが、興奮して、向こうの奥の間の作品が透けて見える!いい!と。

 

奥の左は今回制作した対の作品の一方。

右の枝の作品は森直子さんの作品「血脈」。

昨年のこの企画のシンボルとさせていただいた作品だ。

 

私の作品制作、催事開催は少ないながらも、

これまで制作した作品、催した催事の積み重ねがこうして目にも重なって見えていることに、

淡い感動を覚えた。

 

 

 

 

photo:大辻 織絵

 

11月9日の花と歌の即興パフォーマンスにて、

森直子さんが10分かかるかかからずに即興生け込みされた。

彼女のエネルギーに全くふさわしい大作だ。

胸が透く!

掛け値無しにエネルギッシュだ。

 

白い穂のパンパス、オレンジの極楽鳥花は友人に市場から直接仕入れてもらった。

もみじ、南天、棕櫚は旧石原家住宅の敷地に生えている植物を直子さんが選んで花材としてくださった。

彼らも作品となって、いつもと違う顔を見せてくれている。

 

 

正統派古民家にここまでダイナミックな花作品が合うとは・・

意外ではまったくなく、なんと自然なことかと思う。

 

これも、直子さんの、花に命がけの姿勢ゆえなのであろう。

 

 

photo:森 直子

今年は竹で作品を作りたい..

企画をはじめた頃、直子さんがとても嬉しそうにそう仰った。

 

石原家の裏庭には竹藪(まさに、やぶ!)があり、細めの竹ならいくら切り出して使っていただける。

直子さんには思い切りその豊かで深い感性を解き放っていただきたいと心から思った。

 

 

現場にはいる前から、竹の固定のしかたについては事前に読みきれない不確定要素があると直子さんは随分気にかけておられた。ところが、蓋を開けてみると、驚くほどスムーズだった。

夫に、直子さんの竹作品の制作のお手伝いを頼んでいたのだが、直子さんと一緒に藪に入り、直子さんの指示で竹を切りだし、現場に持ち込んでからちょうどよい長さで切ろうと思い、先端の枝や笹の葉を切り取らずにそのまま屋敷内に運び込のだそうだ。

さて、竹を設置してみようとすると、先端に向かって細くなっていることで、先端ほどしなやかにしなってくれる。土間の表面に接地する竹の小口部分のみ養生すれば、直子さんがここだと決められた位置に優しくもしっかりとした確かさで、どこから見ても美しい配置に収まるという、なんともスムーズ極まりないプロセスで空間が出来上がっていったのだ。

竹の小口には、いささかケチなところのある私の廃物利用のアイデアを使っていただいた。この設え方は一種の「突っ張り棒」的ではあるのだが、突っ張り方はどこまでも無理がなく、適度な遊びもあって、立ち方に優しさがあった。

これまで直子さんとの企画のなかで、最も何かに導かれるように完成していく制作プロセスは本当に興味深いものだった。

 

 

 

今回、新たに制作した私の作品は、畳の間と奥の間の床の間に提示した、白い反物と見まごう長手の対を成す2点の作品と、そのほかに、字をモチーフとした書描は、力強さ剥き出しのものととても流麗な雰囲気のするもの、計4点。

字をモチーフとした書描のひとつをこの竹作品にあわせようということになった。あいそうだなと考えていたところに、直子さんが背中を押してくださった。

 

この滑らかな流れのような作品のモチーフとした言葉は実はかなり鋭角的なもの。「己をえぐれない奴に用は無い」という言葉である。この作品は、竹をイメージしたのでも、直子さんの作品イメージを取り入れようとして描いた訳でもない。その厳しさのある言葉とはうらはらに、竹林に吹く風か、さやさやと揺れる笹の葉か、はたまた、流れ落ちる雨の雫か、竹で作り出された土間の空間に完全に黙ってすっぽりと収まっている。

 

 

こうした空間展示作品の制作はまさに直子さんと夫と私の協働作業だった。

直子さんと、作品の作り手として名乗ってはいない夫ではあるが、彼の、それぞれの感性と経験と能力、そして、自分でも驚くほど、私が彼らに対して寄せている絶大な信頼感とが一つになっていたことがとてもリアルに感じられた。コラボレーションとはこういうことなのかと、この土間の竹の空間が出来上がって、深く実感した。直子さんとはこうした作品展はこれまで何度かご一緒させていただいているのだが、今回、私はようやく彼女の感性と表現を私の心の奥深くに受け入れることができたのだ。そして、私自身としても、より自分の奥深くから表現することができた空間展示となった。

 

 

 

一見穏やかそうに見える、その奥に修羅がある。

一見シンプルそうに見える、その奥に複雑極まりない蓄積がある。

 

直子さんにも私にも底知れない心の奥底がある。

共有しえる修羅があることをようやく私は理解できたのかも知れない。

 

 

 

ここで、こんな風に文字によって説明することを過去の私は完全に避けていた。好みではなかった。それは私にとって「ヤボというものでしょう」だった。

しかし、時には、敢えて明確に言葉にして表現せざるを得ないことがある。

 

 

この家の過去にも修羅場は数知れずあった。

我が子への想いより、「お家大事」—家の存続を最優先する— の時代だった。

 

 

 

私たちの誰もが、過去の修羅をこの身のうちに隠し持っている。

そこから目を背ける必要はない。それがどんなに酷いものでも、惨めなものでも、悪そのものにみえることであっても。他の誰もが糾弾し、批判し、罰することであったとしても、無きものとする必要はない。自分の内にそれらを真正面に見据えながら、苦しみながらも、自分自身の感性をもとに人生を瞬間瞬間創造していくことができるのは、表現ということを行う者にとって非常に価値のあることだ。

そして、それは、表現活動に関わるものだけに言えることではないのではないだろうか・・

 

つくづくとそんな風に思う。

 

 

 

photo:大辻織絵 

 

 

催事が終わり、木戸を閉めた。

廊下の一番奥で、舞台はまだ終わっちゃいないんだぞと言わんばかりの書描が浮かび上がった。

 

 

何をモチーフとしたかを明かすと、これは「修羅」という言葉。

説明することは好みではないが、今はそうする必要を感じる。

 

 

 

木戸や床の照り返しが美しい。

夜の帳がおりて、辺りは静まっている。

静かなのに、みなぎって饒舌な空間に心が引き止められてしまうのはいつものこと。

 

こうだから、すぐに空間展示を片付けられなくなるんだ。

でも、もう来年のことを考えている。

終わったようで終わっていない。

人生のようだなと思う。

 

 

 

photo:大辻 織絵

— 会期中掲示したご挨拶を

 改めてこちらに掲載しております。

花作家 森直子氏より、開催に寄せて

この度は「文化財の音景vol.5  みちしるべを頼りに」へのご来場、心より感謝申し上げます。

北海道より今年もこの岡崎の地で花創作をすることができたことを、うれしく感じております。  

 

 

石原邸の建物の歴史の持つ独特の豊潤さ。

大辻織絵氏の持つ感性と資質。

大辻寛記氏の持つ寛大で美しい陰の力。

 

それらにすっぽりと包まれながらの創作の時間は、

わたくしにとって解放感と自由性、

そして、安心感と信頼感、人としての情緒に満ちた、何ものにも代え難い、かけがえのないものです。  

 

建物の中に佇む皆様の風情も、

作品たちも、 見える景色の情景も、

庭の外から聞こえる音も鳥の声も、

すべてが作品となって一体化しています。  

 

ここに居る、ここに在る、なにもかものすべて。

時の流れの中に織りなし合うすべてが溶け込んで一部となる作品である、 と感じています。  

 

 

「最も人にとって大切なものは情緒である。」という数学者の岡潔氏の言葉が想い出され、調べると、情緒とは、「人にある感慨をもよおさせる、その物独特の味わい。また、物事に触れて起こるさまざまな感慨」と書かれていました。  

 

この場に居合わせて下さった皆様が、

この情景に触れて、心になんらかの味わいを感じていただけましたら幸せです。  

 

花作家 森  直子 

photo gallery・フォトギャラリー

森直子氏の視点

一枚づつ拡大してご覧いただけます。

— 会期中掲示したご挨拶を

 改めてこちらに掲載しております。

主催者より、

開催に寄せて・ご挨拶

本日は、旧石原家住宅にご来場くださり、誠にありがとうございます。

心より感謝を申し上げます。  

 

 

おかげさまで、この企画も5回目を迎えることができました。  

 

冒頭からいきなり個人的なお話になりますが、毎年夏を過ぎますと企画の準備が始まり、むずむずとして参ります。企画発案から会期終了まで、私にとっては子を生み育てるのに近い感じがし、厳しいとき、スムーズなとき、様々です。  

今年は何日もテーマを決めかねておりましたが、「みちしるべを頼りに」と浮かんだときには、いっぺんに救われたような気持ちが致しました。 テーマが定まっただけではないもので、飾らない等身大の自分を見つけて、肩の力が抜けたようでした。  

 

母が生まれ育ち、父が心を寄せたこの家が文化財として登録され、結果、こうした機会をもつに至り、それは所有者としては「仕事」でありながらも、同時に、それまでとは全く違う「表現すること」の喜びを与えてくれるものでありました。

 

今年も札幌からおいでくださった森 直子さん。

深い共感と信頼のもと、心の赴くまま、共に制作させていただけて、ほんとうに幸せでした。

そして、今回も夫が精一杯、力を貸してくれました。

いつも影になり日向になり私を支えてくれている彼あってこそ、こんなことができるのだと思います。  

 

そして、「表現すること」の基盤である自分の心というものを問い続けることを何よりも大切なこととして生きている人間として、この機会に、このような個人的で内面的なことを書かせていただいているという異例さ。  

考えてみれば、これらのすべてが、私には「みちしるべ」なのですね。  

 

 

今回の展示に、みなさまのお心と響きあうものがありましたら、ただただ嬉しく思います。

今年もこうして開催することができた喜びをこの身の奥に静かに感じながら...      

 

 

旧石原家住宅所有者 大辻 織絵 

 

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大辻織絵の視点

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