「私」を知る。ーー「私」を思い出すという調律

ここに導かれてくださったあなたに、心から ”ありがとう” とお伝えしたい。
こんなもニッチで、無名の私のウェブページを見つけてくださったあなたは、とてつもなく感度の高い方と拝察します。
改めまして、Lucy Orie (ルーシー織絵)と申します。
本名は、大辻織絵と申します。
ペンネーム、ニックネーム等を全く欲しいと思わず、その存在の意味もわからなく、元を正せば、親からもらった名前以外を名乗るなんて罰当たりでできないという心境だったのですが、2020年の春、そんなところから突然360度転身して、「ルーシー」という名前を自分に与えてやりたいと閃きました。
それ以来、新たに出逢った方には「ルーシー」と名乗り、ルーシー、あるいは、ルー、と親しみを込めて呼んでいただいています。
ほんとうに嬉しい限りです。
さて、ここには、
「"私"を知る。」というタイトルからお越しくださった方もいらっしゃるでしょうし、
「調律の時間。」とタイトルを冠したご案内からここに飛んできてくださったからもいらっしゃるでしょう。
私はピアノの調律師ではありませんが、
楽器は人間は、とても似通ったものがあることは、なんとなし、感じていただけることかと思います。
「"私"を思い出すという調律」とは何か。
そして、実は、この「調律」には、「体・服・花」という題材を使うという特徴があります。
「調律」という名を冠したこの内容は、私のこれまでの人生経験から抽出されたエッセンスのようなものですので、お話が長くなりますが、自己紹介を兼ね、お伝えさせてください。
3歳の頃に肺炎にかかりました。それは幼児にありがちな通過儀礼のようなものだったのだろうと思いますが、その後、小中と皆勤賞など全く望むべくもないひ弱な子供でした。
肺炎のことや、母が体が弱い方で遺伝のことも念頭にあったのか、一番は母の趣味だったようですが、3歳から、母に引きづられてバレエのレッスンに通うようになりました。
いやがる私を、母は毎回バレエのレッスンに連れて行き、その甲斐もあったのでしょう、中学生の頃にはそれなりの健康状態にはなっていました。
14歳の頃、そんな母が倒れ、寝たきり同然になりました。
母のこと、それに伴って変わった家庭環境、そして家業のこともあってのことだと思います、いわゆる思春期・反抗期を経験することなく、体はそれなりに健康体になっていきましたが、素直に自分の気持ちを表現できない、いや、きっと自分のほんとうの気持ちをあまりにも知れないでいたのだと思います、10代後半は鬱屈したものになりました。
心の葛藤と抑圧はますます強まるばかりで、父との関係もどんどんと悪くなっていき、ほとんど寝たきりの母にも優しく接することができず、そんな自分を無意識に罰していて、顔色はいつも悪く、片頭痛はしょっちゅうで薬を持ち歩かないと不安で堪らなく、秋冬には必ずひどい風邪を引くという習慣がついてしまいました。
父とも母とも心を通わせられず、実家にいたたまれなかった私は、実家から出ることばかり考えていました。大学進学を機に、親のすねをかじって一人暮らしの新生活を始めたものの、はじめたなりは幸せ感いっぱいでしたが、すぐに、心の葛藤と自分自身の素直な想いの抑圧は止むどころか、増すばかりでした。大学卒業後、大学のあった地域で音楽関係の就職先を決められたものの、父の反対に遭い、それを踏み倒す心身のパワーも持ち合わせず、泣く泣く実家に帰って、家業を手伝うようになりました。それがいいことが悪いことか、そういうことはともかく、母が寝たきり同然だったことも、父の反対を押しきれなかった理由だったと思いますし、自分自身、いつかは親元に帰って、親の力にならなくてはダメだ、と無意識に自分に言い聞かせていたようなところはあったのだと思います。
県外で一人暮らしをしていても、結局、常に親からの電話にビクビクしていました。実家にいた時からそうでしたが、親の顔色ばかり窺っていました。そのためでしょう、外圧に弱く、影響されやすく、自分の感覚を疑うことばかりが上手になっていったように思います。
それからの数十年に思いを巡らせば、調理師、音楽活動、ボイストレーナー、ゴスペル歌手、コーラスアレンジャー、父の秘書、紙媒体のデザイン、書の表現活動(書描shobyo)、作詞作曲など、さまざまなことに挑戦し、それなりの力をつけてはきましたが、一時が万事、<決め手にかける>という感覚が拭えずにきました。
なぜ、そのような思いに湧き上がるかといえば、そもそもの私の捉え方が、「自分を絶対に認めない、認められない」という大前提を作って生きてきてしまったからだと思います。
「親が喜ばない限り、何をやっても本当に素晴らしいとは言えない」そんなふうに信じ込んでしまったようです。
音楽活動は歌でしたので、歌には体が資本ですから、20代から体や呼吸のことは非常に研究してきました。また、心の葛藤と自己否定感が酷すぎたために、幾つもの"心を立て直す試み"(自己啓発、宇宙の真理の探究、潜在意識解放と書き換えetc.)に大金を注ぎ込み、学び、自分自身の日常、人生で実験実証をしてきました。コロナ禍には、長年の友人、花作家の森直子さんからひょんな流れで、花を学ぶことになり、花を単に花としてではなく、我々と同じ生きもの同士として相対し、心を通わせ、作品とすることを通して、自分を深く知る道を知りました。また、同じ頃、パーソナルスタイリング(服)というものに興味を持ったところから、パーソナルスタイリングの創始者、政近準子先生とご縁を持たせていただき、ずいぶんと示唆と刺激と素晴らしい経験をいただきました。それまで何となく好きだった「服」というものと、それまで散々に研究、実体験を繰り返してきた「心・内面」とのつながりを実経験を通して、深く研究・実証してきました。
様々な出会いと関わりを通じて、たくさん経験し、学んで来れたと思うのですが、どうしても、何においても、あと一歩のところでいつも、「決め手にかける」という想い‥あと一歩のところで突き抜けられない、そういったことがいつも頭をもたげていました。
どうしても、自分を、自分の感性、感覚を信じ切ることができない・・
そのいちばんの問題は一体何だったのか。
それが今、この場でここに訪れてくださるあなたに向けて、なぜ「体、服、花」、「体、服、花を通して」なのかに向き合っていて、ハッとしました。
それは、私の目が外にむいていたからだと。
なかなかに繊細で、細やかな感性を持ち合わせてきたつもりでしたが、35年かそれ以上もその感性を生かしきれず、自分自身を見極められず、自分をわかれないまま来てしまったのは、きっと親たちとの関係性の中で、「どうせ認めれもらえない」という眼鏡をかけたような肉眼でばかり外側の世界を見て、その見た目を最重要なこととする癖がついてしまったから、なのだと思います。
それでしか、自分は生き伸びることができないのだと思い込んだ、そうして、細心の注意を払って、周りを自分を見張って、親の望まない私が表に出ないようにしていなくちゃ、と、いつ親から見放されるか、もっと嫌われれるかわからないんだから、という恐怖で自分の内面をいっぱいに満たしたままで、無自覚に大人になってしまったからだと思います。
不思議です。
これに類することは、自己啓発などの自分を知るメソッドのなかで、何度も何度も言葉になっていたことでした。
でも、そのたびに、こんな自分もうやめたい、こんな自分じゃなくなりたい、一刻も早く変わりたい、変わらなきゃダメ、、自己否定のもとで、そんな自分を見ていました。
こんなにニュートラルな感覚でこういう自分を言語化しながら、自分を否定しないでいる・・・
生まれて初めてのことです。
やっと、外ばかり見て、外側に見える圧力に左右されて、自分を見失っていたところからようやく、本当の意味で、自分自身の内面を見つめ、自分自身を向き合うことができはじめたようです。
これまで学び、研究してきた、体のこと、服やスタイルのこと、花のこと、その他、音楽や自分を知っていくということも、この視座に立てて初めて、本当の意味で生きてくるのだなあと、そんな嬉しい気持ちです。
今まで学び、研究してきたことを、今までお世話になった大切な方たち、また、新たに出逢うご縁の深い方たちにわかちあえたら、とずっとずっと願ってきました。でも、
そうですね、、外に目が向きがちなわたし自身が、その自分の純粋な願いを挫いていたんだと思います。
そんななかでも、折に触れ、体のこと、服のこと、花のことをお友達にシェアさせてもらい、フィードバックをもらってきた、、その経験はかけがえないものでしたが、それらから知れたことをわかちあう・・を超えて、
『自分に自ら問いかけ、自分を自分自身で見つめた結果、内側から自ら立ち上がってくるその人だけの真実ほど強いものはない』ーー自分にとって、何よりもほんとうで、何よりもパワフルなものが、すでに自分の中にある・・わがままや、自己都合や、個癖でとは違う、持って生まれた本物の個性・・・それを思い出すきっかけとなる場をわかちあいたい。
自分ことをいちばんよく知っているのは、自分自身です。
外の世界から情報を取り入れるのでも、正解を見つけようというものでもなく、もともと持って生まれた自分自身の感性や生きるちからを思い出すだけ。きっかけがあれば、遅かれ早かれ、自然とそれは表に現れ出て、外の世界との響き合いはじめる、そんな実感から、あなたとの時間を、「調律の時間。」と名づけました。
「調律の時間。」
─ あなたという愛おしい存在に、静かに耳を澄ます時間。
体、服、花、三つの題材からひとつ選んでいただき、自分自身の本当の声を浮かび上がらせていくことで、変化や脱皮のきっかけにしていただければ嬉しいです。
例えていうなら・・
‥体を題材とすれば、
声や感情の詰まりから、自分が浮かびあがり、
‥服(スタイル)を題材とすれば、
その人が無意識に選び取っている“自画像”が映し出され、
‥花を題材とすれば、
その人が世界とどう関係しようとしているかの構図が浮かび上がる。
テーマを一つに定めず、その時いちばん自然な入り口から自分自身を見つめていきます。
🕊 お試し価格・・1時間 3,500円
※1回1時間とは決めておりません。あなたの感覚に寄り添います。
(通常 5,500円 / 継続のご相談も可能です)
🏡 お会いする場所・・JR岡崎駅から徒歩6〜7分
( ZOOMでもお会いすることができます。)
・・・その他、お会いする場所、お時間等、ご相談に応じます。
「調律の時間。」には、たとえば、こんなことをします:
ーー 体、服、花‥ その人らしさはどこにでも現れてきます。
✿ 体のこわばりや呼吸の様子を観察しながら、自分の体、気持ちに問いかける
✿ その日の服を題材に、「どう見られたい/どう在りたい」が映し出される感覚に気づく
✿ 選んだ花を感じるまま挿してみることで、世界との関わり方や、自分の“今ここ”の在り方を映してみる
「調律の時間。」は、「正す」ための時間ではありません。
自分自身や自分が望んでいたことを“思い出す”時間です。
少しずつ自分の輪郭が変わっていくような静かな対話の場です。

あなたに出会えたことを、心から感謝しています。
あなたとは、この一期一会、なのかも知れない。
あなたと、いつか、この「調律の時間。」をご一緒する時が来るかも知れない。
どちらであっても、
「調律の時間。」に流れる風が、あなたの感性に届きますように、
この象徴的な絵をここに置いておきます。