「私」を知る。・・・「私」を思い出すという調律

ー ここは、正解じゃない、正直になっていい場所 ー
わたしは、あなたが“自分のほんとうの声”に耳を澄ませるためのガイド。
「答え」はあなたの中にある。
わたしが「答え」を持っているのではなく。
その声が、たとえ――
揺れていても、迷っていても、
ガサガサしていても、だいじょうぶ。
ここは、正解じゃない、正直になっていい場所。
あなたの胸のうちにある、
まだ名前のない、“想い”という顔をした
ほんとうの気持ちに、
そっと耳を傾ける場所。
わたしは、そこにいて、
あなたの声に耳を澄ましながら、
あなたの「ほんとう」へのガイド役に、徹するから。
ここに導かれてくれたあなたに、心から“ありがとう”をお伝えしたい。
こんなにもニッチで、無名の私のウェブページを見つけてくださったあなたは、きっと、とてつもなく感度の高い方だと思うのです。
・ ・ ・
はじめまして。
Lucy Orie(ルーシー織絵)です。
本名、大辻織絵と申します。
以前は、ペンネームやニックネームを名乗ることに抵抗がありました。
「親からもらった名前以外を名乗るなんて罰当たりや」と思っていたからです。
でも、2020年の春。
あるとき突然、「ルーシー」という名前が降ってきました。
ただの思いつきじゃない!すごく私らしさ、を感じました。
それからは、新たに出会った方々に「ルーシー」または「ルー」と名乗り、呼んでいただいています。
ほんとうに嬉しい雰囲気が漂うんです。
「調律の時間。」へようこそ
このページには、
「“私”を知る。」という入口から来てくださった方も、
「調律の時間。」という紙のご案内から来てくださった方もいるかもしれません。
わたしはピアノの調律師ではありません。
でも、あなたという“楽器”が本来の音で響くための、小さなお手伝いができます。
人間と楽器は、案外よく似ています。
「“私”を思い出すという調律」とは何か――。
それを、体・服・花という入口を通して、お伝えしています。
この「調律の時間。」は、私のこれまでの人生の中で、
自分自身を深く見つめ、整え、解きほぐしてきた時間の蓄積から生まれたエッセンスです。
ちょっと長くなりますが、
自己紹介もかねて、その背景をお話しさせてください。
幼少期のわたし 〜抑えられた身体、引きずられた感情〜
3歳の頃、肺炎にかかりました。
もともと、母も身体が弱かったようです。
その影響もあったのかなと思います、母の大好きなクラシックバレエのレッスンにいくようになりました。
母は、嫌がる私をひきづってレッスンに連れて行ってくれました。
その甲斐もあってか、中学の頃にはそれなりに健康になりました。
14歳の頃、その母が倒れ、寝たきり同然に。
家庭環境が一変しました。
産婦人科医院という家業のこともあってか、思春期らしい反抗はできない子どもでした。
素直な気持ちの出し方、ばかりか、感じ方すらわからなくなっていきました。
10代後半は、心の葛藤と抑圧ばかりが強まっていき、
顔色が悪く、頻繁に偏頭痛に見舞われ、頭痛薬を手放せず、秋冬には喉鼻を壊すのが習慣になっていました。
父とも母とも、心を通わせられず、実家に居場所がないように感じていました。
実家を逃げ出しても、心の抑圧は消えなかったー
大学進学を機に、親のすねをかじって一人暮らしを始めました。
10代後半から家を出ることばかり考えていた私は、最初しばらくは幸せいっぱい!
でも、それは表面的なもので、
実際、心の葛藤と自分自身の抑圧は強まっていく一方でした。
就職では音楽の興行関係の道に進もうとしましたが、父から強く反対され、
逆らいきる力もなく、泣く泣く実家へ戻り、家業を手伝うことに。
母がほとんど寝たきりだったこともあり、
どこかで「親元に戻らなくちゃ」という想いもあったと思います。
どこにいても、親の顔色をうかがい、
電話の音が鳴るたび、ビクッとしていました。
また叱られるのか、今度は、どんなふうに否定されるのか、と。
親の“望まない私”が表に出ないように、無意識に息を殺していたように思います。
ずっと、自分を疑うばかりの人生 ー
それからの年月、いろんなことに挑戦してきました。
調理師、音楽活動、ボイストレーナー、ゴスペル歌手、書の表現、コーラスアレンジャー、作詞作曲、父の秘書、紙媒体のデザイン……
でも、ずっとどこかにあったのは
「決め手に欠ける」「何かが足りない」という感覚。
今思えば――
わたしの根っこには、「自分を絶対に認められない」「認めない」という前提があったのだと思います。
「親が認めてくれない限り、何をしても意味がない」と、信じ込んでいたのです。
体・服・花を通して、自分の内側 ー
20代の頃から、呼吸や身体の感覚を探究してきました。
自己否定が激しかったからこそ、心のメソッドや自己啓発、潜在意識の書き換えにも多く取り組みました。
コロナ禍には、花作家・森直子さんとのご縁から、花を通じて、自分と向き合う体験を重ねる経験をしました。
「命の尊さではなく、命のあり方に向き合う」という彼女の考え方に心から賛同したからです。
同じ頃、パーソナルスタイリングの草分けで第一人者である、政近準子さんとご縁をいただきました。
彼女の「マインドフルファッション」「ギフトファッション」という考え方にも目を開かれました。「服」という切り口から自分を知るきっかけをいただきました。
これらの経験を経て、いま、気づいたことがあります。
「わたしの目は、ずっと“外”ばかりに向いていた。
自分の感性を信じ切れなかったのはそうだからだったんだ‥」
繊細な感性や、唯一無二の個性を持っていたなのに、
周囲や親の望むありかたばかりを気にして、
自分らしさを抑えなくちゃ、と無意識に頑張ってしまっていた・・
「内側の自分」を知り、見つめることを、ずっと避けてきたのだと思います。
外側に答えが、正解が、いちばん欲しいものがあるはずと思い込んで、
自分の大切なものを開け渡したり、
相手が欲しそうなものを与え尽くしたり、
そうすれば、引き換えにそれを得られるに違いない・・
その考え方が、自分自身を見えなくしていた。
ジブリ作品の「千と千尋の神隠し」に出てくる"カオナシ"。
思い浮かびますか?
私は、あれそのものだった・・
ーーそう気づいたとき、
今まで感じなかった、カオナシの深い絶望と悲しみが迫ってきました。
ああ、これは、私のなかにあった悲しみと絶望だ・・
「変わりたい」から、「思い出したい」に ー
「本当の自分を思い出す」ーーこういった類の考え方は、自己啓発でも散々見聞きしてきたことでした。
でも、そのたびに「こんな自分じゃダメだ」と思い、早く変わろう、早く変わらなきゃ、と必死になりました。
思い出す、ということが、言葉でしかわからなかった。
闇雲に内省していただけだったのかもしれません。
今、ようやく――
初めて、「変わらなきゃ」ではなく、**「思い出せばいいだけなんだ」**と思えるようになったのです。
それは、
いちばん長く共に過ごし、いちばん長く気づかずにいた、
私のなかの深い絶望と悲しみの顔を、まっすぐに見たからだと思います。
「調律の時間。」は、あなたがあなたに出会い直す時間 ー
これまでの私の経験は、すべてここに繋がっていたように思います。
「自分を自分で見つめ、自ら立ち上がってくる真実ほど強いものはない」
外に正解を求めるのではなく、
すでに自分の中にある「ほんとうの音」を見つけていく。
それが、「調律の時間。」の本質です。
・ ・ ・
自分のことを、いちばんよく知っているのは、自分自身。
外に探しにいくのでもなく、
外から治そうとするのでもなく、
もともとあなたが持って生まれた調和を、そっと“思い出す”時間。
それが、この「調律の時間。」です。
「調律の時間。」
─ あなたという愛おしい存在に、静かに耳を澄ます時間。
体、服、花、三つの題材からひとつ選んでいただき、自分自身の本当の声を浮かび上がらせていくことで、変化や脱皮のきっかけにしていただければ嬉しいです。
例えていうなら・・
‥体を題材とすれば、
声や感情の詰まりから、自分が浮かびあがり、
‥服(スタイル)を題材とすれば、
その人が無意識に選び取っている“自画像”が映し出され、
‥花を題材とすれば、
その人が世界とどう関係しようとしているかの構図が浮かび上がる。
テーマを一つに定めず、その時いちばん自然な入り口から自分自身を見つめていきます。
🕊 お試し価格・・1時間 3,500円
※1回1時間とは決まっているわけではありません。
あなたの感覚に寄り添います。
(通常 5,500円 / 継続のご相談も可能です)
🏡 お会いする場所・・JR岡崎駅から徒歩6〜7分
( ZOOMでもお会いすることができます。)
・・・その他、お会いする場所、お時間等、ご相談に乗ります。
「調律の時間。」には、たとえば、こんなことをします:
ーー 体、服、花‥ その人らしさはどこにでも現れてきます。
✿ 体のこわばりや呼吸の様子を観察しながら、自分の体、気持ちに問いかける
✿ その日の服を題材に、「どう見られたい/どう在りたい」が映し出されることにみずから気づく
✿ 選んだ花を感じるまま挿してみることで、世界との関わり方や、自分の“今ここ”の在り方を映してみる
「調律の時間。」は、「正す」ための時間ではありません。
自分自身や自分が望んでいたことを“思い出す”時間です。
少しずつ自分の輪郭が変わっていくような静かな対話の場です。

こうしてあなたに出会えたことを、心から感謝しています。
あなたとは、この一期一会、なのかも知れない。
あなたと、いつか、この「調律の時間。」をご一緒する時が来るかも知れない。
どちらであっても、
「調律の時間。」に流れる風が、あなたの感性にもそよぎますように、
その象徴となる絵をここに置いておきます。