境い目考。

仕事とプライベートという感覚、この「分かれ目」が感覚的にわからないことがある。わからなさ加減に困ったり戸惑ったりする。

ここ数日、父と共に過ごした時間がその源だったんじゃないかと想われてきた。すると、父の気持ちが少しわかった気がしてきた。
父は自然なお産を介助できる開業医の産科医だった。産婦さんの自然なプロセスやタイミングを遮らず、こちら都合のコントロールをしないので、休日も夜間もごはんの時間もすべてお産次第。父には、お産と妊婦さんが何よりも最優先で、何よりも大切にすべきことだと想っているように感じられた私はいささかひねくれたし、父娘の関係もよじれた。

男として、家長として、人間としてという部分では父のことをだんだんとわかってきた気がする。父がどんな気持ちで仕事に打ち込んでいたか、ひねくれた私にもだんだん感じ取れるようになってはきている。
でも、今回、仕事とプライベートというテーマで自分自身の心のありようを紐解いてみることになってみると、わかりたかったのに一番わからなかった、ボヤけていた部分にピタッとピントがあったような気持ちがした。
自分自身のなかにこんなかたちで父の気持ちを垣間見ようとは。

仕事に打ち込みすぎて、家族をないがしろにしているのでも、妻子を軽んじている訳でもなかったんだ。父にとって、説明したりわかりやすくふるまう必要もないくらい、父にとって母と父と私は一体だった。そして、彼には、個人とか、夫婦とか、家族とか、会社とか、地域とか、社会とかを区切る境い目というものもなかったんじゃないか。