前世とか。

前世という考え方について話をしていて、浮かんできたアイデアが凄くおもしろいと想った。
我々の存在を水になぞらえるなら、我々は一掬いの水同士なんじゃないか。死んだら、元の水桶に戻る、無数の想い、記憶、歴史と混ざりあい、そうして再びまた水桶から掬われたとしたら、そこにはどんなにかバラエティに溢れる要素が一緒に掬われることか。
前世でお釈迦様だったとか奴隷だったとか殺人鬼だったとか皇帝だったとか遊女だったとか、色々聞いたことがある。それを知ろうが知らまいが、一人の人間には一人とは想えないくらいの豊かなパーソナリティ、ストーリーが散りばめられているかのように感じるものなあ。

前世という概念自体、賛否両論だろうし、私のこのアイデアも突っ込みどころ満載だろう。
ワケわからん、嫌い、つまんない、謝りたかった、あんな風にできればよかった‥肯定的なものだけでなく、そういういろんな想いを人に対して持ったりしてしまうけれど、果てはそうして全てと混じりあえるのなら、それもいいのかも。
水というのは、雨にも雪にもなる、氷にもお湯にも水蒸気にもなる、人間のからだのなかにも入ったり出たり、分子で見ればもっと色々に姿を変えながらそこら中にあって循環をくりかえしている。人と水とは似てるかもしれないな