テレビっ子なのですが。

十代の頃、NHKしか見てはいかんという親に隠れて、ガンダムとかダンバインとかMTVとかに熱中したり、親より熱心に御宿かわせみとか真田太平記とか見ていた。私自身は主にそういう物語系のテレビに夢中になっていたのだが、テレビの印象はというと、内容より家に帰るとなんだか理由もなくついているテレビ込みでの家庭の景色まるごとではあった。そういう生活の風景の一部としても、物語をお話ししてくれる機械としても、テレビっていいものだと思っていた。
大学進学に際して親がテレビを買ってくれた。FelixがマスコットキャラクターだったSONYのトリニトロンテレビだった。ちょうど引っ越しを考えていた頃、10年前くらいだったか、それが調子悪くなった。画像がザラザラしてきて、色もムラがあって褪せた感じに。20年近く働いてくれたし、引っ越しは人生の流れを変えるために親に話さず決意したということでもあったし、彼も寿命なのだと思い、もうこれっきりでテレビとはお別れすることにした。そうして、10年。大きな変化を経て、久々にテレビを購入して1年半ほど。あのトリニトロンとは比べ物にならないくらいのあの美しい映りとワイドさ!それはそれは素晴らしいのだが、見るのにうれしい番組があまりないのが残念なのだ。

そんななかでもおもしろい番組として思い浮かぶのは、クレイジージャーニー。そこまで言って委員会も。そして、家、ついて行ってイイですか?、探偵ナイトスクープ、十代の時も熱中したNHKの大自然もの。クレイジージャーニーとそこまで言って委員会以外はわざわざその時間にテレビの前にいようと思うほどではないが、たまたま見られれば楽しめる。クレイジージャーニーとそこまで言って委員会の二番組は絶対見られるようにしようとまでは思わないが、たまたま見られると、熱中してしまう番組。
おもしろさって何だろう。私はテレビはおもしろいから見たい。十代の頃熱中した番組はほんとうにおもしろかった。
テレビは情報を得るためのツールという位置付けが一番にくるものなのかもしれないが、いったいその情報がほんとうに正しいのか全うなものなのかこちら側から調べることはとても難しい。ヤバイことに、テレビでやっていると、正しい情報のような気がしてしまうことがある。よしんば、それが正しかったとしても、人の悪口や批判は全く楽しめないし。その人がその筋の専門家だと表示されていても、ほんとうに専門家かどうか、公正にものを観ることができ、それを語ることのできている人物かどうかだってわからない。
友人のひとりが、なんでニュースって不幸せなことばっかりなんだといって、自分でハッピーなニュースを作るんだとがんばっているが、ほんとにそうだ。楽しくないし、じゃあ信頼できるのかと言えば、その辺りも確信持てず、なんとも残念なことだ。
事件や政治など報道を見るといつも感じるのだけれど、せめて日本全体で今日これだけのことが起こりましただとか、日本全体では政治や政策や行政はこんな動きですだとか全体を示して、その中から我が番組はこれをピックアップします、これは我が番組独自の観点です、といってくれればいいのだけど。全体でどんなことが起きているかなんて示しようもないのかもしれないし、そんなリクエストに応えることはどだい無理な話にしても、これは我が番組独自の視点ですとかはいってくださればいいのだが、それはない。おまけに、どこでも大体同じことをやるから、ボヤボヤしていると、自分の頭のなかが全部それになってしまう。怪談より遥か天文学的にコワイ。

クレイジージャーニーやそこまで言って委員会も、そこで見聞きすることがらがほんとうのことなのかどうかはやはりわからない。わからないが、やっぱりおもしろい。魅力を感じる。なにがおもしろいのか魅力なのか考えてみると、めちゃくちゃなところじゃないか。めちゃくちゃで愛がある感じ。
クレイジージャーニーの題材になるような独特な人びとは、私はこうです、と高らかに宣言している感じがする。それにもしやらせが含まれていても、全部フィクションだったとしても、あそこまで真に迫ってやりきれるなら、おもしろいじゃないか。それが本物かどうかということよりも、それを見る側におもしろく影響するということに意味を感じる。あんなことをしている人が日本人にいるなら、私だって、僕だって、この独自に興味のあることを思いっきり追究してみたっていいんだ!だとか、うちの子も訳わからんことやっているがそれもひとつの生き方なんだなとか、セットされていた観方が変わることがあるならそれは素晴らしいことじゃないか。
目の前の人がどう思うか、世間がどう思うかの上空で、「私の好み」や「私の考え」や「私の観点」や「私の真実」がどこに凭れるでも傾くでもなく、野中に一本だけすっくと育った木みたく生きている印象のすることっておもしろい、気持ちがいい。それはテレビのなかにも存在できる。東西南北の超重心にすっくと一本立つ木。数百年、数千年生きてきた、これからも生きていくだろうような木であれ、今晩の嵐にやられ折れてしまいそうな木であれ、美しいと思う。