7月の終わりは、子どもの私には夏休みにも入っていかにもゆっくり出来る時だった記憶がある。暑いといっても、あの頃は30℃くらいじゃなかったか。8月にはいるともう少し気温が上がったんじゃなかったかと思うが、夏が濃くなり、重さを感じるようになってくる気がする。気温や季節感のためではもちろんあるだろうが、8月に入ると親がやけに戦時中の話しをしてくるようになるからでもあったんじゃなかったか。
戦時中の話しをするのはもっぱら父だった。母からは聞いた記憶がない。私が忘れてしまっただけかもしれない。父がその話しをする時に母はどうしていたんだろう。母の顔を見ていたらよかった。一体どんな顔をしていたんだろうか。また始まったか‥という顔だったのか、そうだそうだという反応だったのか。
戦時中は小学生くらいだった父。父の家の前は広めの川で、そこに大きな橋がかかっていた。その川でよくアニキと魚を捕ったらしい。その橋の下にお乞食さんが住んでいて興味津々だったが親に関わってはいかんと言われたというような話しもあった。それらの話しを聞くたび、実際に見たこともない映像が私の頭の中でリフレインする。それは勝手に真夏の映像なのだ。
魚やお乞食さんの話がでるのは8月に限ったことではないと思うが、父の戦時中の話しはもっぱら、ショウイダンがバラバラバラバラいいながら落ちてくる中を必死で走って逃げたという話しだ。これが怖かったとか隣りで走っていた友達は当たったとか命拾いしてどうだったとかいうもっと生々しい話を聞いたか全く記憶がないのだが、この話しのあとには必ず、若いものは戦争を知らん、だから薄っぺらいんだとかなんにもわかっとらんのだとか、必ずそんな話しになった。その部分を言いたくて、その話しをいつもするんだと私は内心いつもため息をつきながら聞いていた。
8月に入ると始まる父のそんな話し。まるで梅雨が終わった途端、蝉がひとりでに鳴きはじめるのにも似ているなと思ってしまうのは無礼千万なのか。鉄砲の弾が飛んでくる中を逃げるなんて、どんな気持ちになるのか想像もつかないけれど、そういうリアルな心象を聞けた記憶にく、最近の若いもんは‥の話しが何倍にもなるというのは、私がそんな薄っぺらな困った子どもだったのか。最近の子どもとは違って、ほんとに子どもなんだから、薄っぺらくて当然だけれど。
父からそんな話しを聞かなくなってからも、やはり8月になると夏に濃さを感じる。今年の8月もやっぱり濃いんだろうか。