盛夏の或る日。

 

夫は東京を故郷のように懐かしむ。大学進学で熊本から東京に出てから結婚するまで、もうそれは故郷にいた時間より長くなったのだそうだが、彼の中では故郷を懐かしむそのものだ。東京出身の人や東京に住んだことがある人に出会うと、東京ローカルの話題で盛り上がる。体は熊本出身だけれど、心は東京出身になっているみたいだ。

東京へは年に1〜2回は行く機会がある。時間があれば、彼がかつて住んだ場所なんかに行ってみる。殆ど変わらない場所もあったり、全く様変わりしてしまったところも。うらやましくも東京は電車網が充実しているから、車がなしで、どこまででも気軽にいける気持ちになる。東京にいた頃はよく1時間でも2時間でも歩いていたそうだ。夫と一緒に彼の心に残る想い出の深い場所を巡ると、私のまだ知らない頃の夫が、どんな顔をして、どんな気持ちで、どんなものを食べて、どんな風に生活していたのかがふんわりと感じ取れた気になったりして、何ともいえなく胸がきゅっとする。彼にとって、東京での暮らしは、故郷にはない輝きと温度感があって、とても大切な想い出の場所なんだな。

夫は結婚を機に名古屋に来たのだが、それを話すとき、「名古屋に出てきたんですよ」と話す。なんとなし、東京には「出る」であって、東京から他県に移るとなると「○○に来た」というのが私にはどうもしっくりくるのだが、そんな言い回しからも、彼という人は地元というものをこよなく愛する人なんだなあとつくづく思う。

郷里にいた頃は西武ライオンズファン、東京に出てからは野球に興味が亡くなったそうだが、「名古屋に出て」きてから突然また野球熱が出たらしい。地元民としてはドラゴンズを応援するんだと。ご当地グッズやオリジナルグッズなんかもとても好きで、タオルとかメモ帳とかよく買っている。

 

彼と出会って5年余。彼と父とはつくづくと全く違う人間だ。父親から離れよう離れようとしていた私だったが、そうである程、父親と似た人を相手に選ぶとか聞く。そういう観点で観てみれば、何かをこよなく愛するというところでは彼と父はとても通じるものがあると思う。とはいえ、男性ってわからない。わからないけれど、いてくれて嬉しい存在。男性がいなかったらこの世界から色ってものが消えてしまいそうな気がする程の大きな存在だ。

 

 

 

終戦記念日が近づいている。昨年から気になるようになってきた。歳のせいだけではないと思う。夫の影響はあると思う。あまりにもたくさんの人々が死んだ。愛する人を失った人が無数にいた。人を殺さざるを得なかった人もどんなに多くいたことか。戦争なんか嫌だ。あの戦争がなんだったのか、色々な見方がある。あの戦争は全て間違いでしかなかったという見方をしたとして、国のために、愛する人々のため、生き抜くために戦って命を落とした一人一人の人々をただ犬死に、無駄死に、だったとは思うのだとしたら悲しすぎる。戦時に人を殺してかろうじて生き残った人びとを糾弾するのだろうか。あの時代を生き抜いた人びと、そこで命を落とした人びと、彼らは浮かばれないんじゃないか。愛する人を戦争で失うなんて絶対にやりきれない。それを怒りと悲しみ、間違いとしてだけ表現したとするなら・・

 

何で亡くなったのであれ、120年以上前に生まれた人々はこの今、誰一人として生きていない。過去生きた人々、先祖や親達に胸を張ってあの世で会いたい。今に生きている自分は、心底の底から幸せであるように、しっかりと目を覚まして生きていかなくっちゃならないと改めて思う。