節目。

私は長いこと目に見える世界しか知らない人間だった。2000年、その基盤というべきか奥底というべきか、目に見えない世界というものが存在するということを知った。あれから20年近く、目に見える世界と目に見えない世界という区分けも朧げになってきた。区分けすらもない感じがするようになった気もする。

昨年、父が亡くなった。私にとって「世界そのもの」といえるほどに私の精神の中で大きく鎮座していた父だった。明日、あれからちょうど半年となる。今でも父を心から慕ってくださる人びとがたいへんなボリュームでいらしゃる、私がぽっくり死んだりしない限り、そういう生き方をしてきた父の跡を私は継いでいく。いや、放棄していないから、既に継いでいるわけか。あれから選択すべきことはどんどんと迫ってきている日々。その中で、割合、軸足がぶれないでいられる自分自身はやはり、かなり苦しくもあったが、親子として上司と部下としての父とのダイナミックで濃い時間のお陰でもあり、その道すがらで出会った夫の存在のお陰のように思われる。

父が亡くなった夜、その日私はなんとなし父は亡くなるんじゃないかと思った。が、その時、看病等を手伝ってくれていた夫は今日は我が家に帰ろうと用意をしていた。あの時、覚悟した記憶がある。夫の感じている流れに乗ろうと決めたのだ。私はあの時、夫を選んだ。これから共に生きていく夫を。親の死に際を察知したというのならそこに留まらなかった娘は批判されるものなのかもしれない。だが、私にとってはそう選択できてよかったと思え、それこそが父の望みだったように感じている。勇気を出して、えいっとそれを選択したというのではない。成り行きでそうなったというのとも、仕方なくそうなってしまったというのとも違う。水が重力に従って流れるようにそういう巡り合わせとなった感覚がある、あの瞬間の分水嶺のような選択は、擦り傷に染みるような、あったかいような、鬱屈したような、悲しいような、ふわっと幸せなような、なんともいえない色々なものが混じりに混じった感触で私の心を下支えしてくれているような気がする。