about me / 私について

「人には元々、素晴らしい感性や能力・可能性が備わっている。それらは、微かな感情や感覚の揺らぎのなかに隠れている。そこに気づけていけるなら、命ある限り、自分自身をどこまでも開花させつづけることが出来る。」

 

 私の胸の奥で響きつづけているこんな感覚があります。音楽や書などの表現活動はもちろん、日常の一つ一つを通して、互いを、世界を、自分自身を、深く感じあっていければと想っています。

 

「こんなすがすがしさに満ちて過ごす日が来るとは。」

 

かつて、私の心は複雑に入り組み、身を置く環境も似たようなもので、もがきながらも「これこそが人生だ」と思っていました。どこか、張り合いを感じ、喜んでもいたように思います。

 

でも、それは全て、幻でした。

 

 

 現実生活になかなか活路を見出せなかった私は、2000年過ぎた頃から心・意識の世界を探求することに没頭するようになりました。

世界・宇宙を司る法則というものがあることを学び、起ること感じることに新たな方向からの見方に気づき、法則を使って心の鬱積や苦境から自由になろうと必死になりました。荒れ狂っていた私の心は、探究するうち、少しづつ穏やかになっていき、自分自身をだんだんと俯瞰して眺められるようになっていきました。

 自分を疑い、「よき方」へと変えていかなければ、生きる価値などないと感じていた時間が長く、自分を否定するネガティブな癖がなかなか抜けず、どっちづかずで中途半端な時間を過ごしましたが、その道すがら、夫との出逢いは大きく私を変えてくれました。

「しなきゃならないことはなにもない」‥ 時々夫の口にのぼるそんな言葉は支えました。自分を信じて勇気をもって行動や言葉を選択するということにはある程度の時間の練習が必要でした。夫との日々の生活の中で、自分を認められるように変化していきました。

 

 或る時、気がついてしまいました。私の中であんなにも価値のあった、”宇宙の法則”も、その他、絶対的な力があると思っていたあらゆるものは、すべて絶対的なものではないのだということを。

自分の外側に絶対的な力は何ひとつ存在しなかった。ショックでもあり、福音でもありました。

それはかつて、影響力の大きすぎる親から「自由になりたい」と渇望していた私には、心から望んでいたことでもありました。しかし、本質的に寄りかかれるものはどこにも存在しないとなかったのだという気づきは、孤独で恐ろしいことに映りましたが、同時に、自分の人生を自分の手に取り戻した瞬間でもありました。

人生初めての感覚がしました。それは、すがすがしく、とても力強かった。

 

 

それから、現実の日々起こるひとつひとつに対して、それまでとは違う見方をするようになりました。

 

冒頭の「人には元々、素晴らしい感性や能力・可能性が元々備わっている。それらの片鱗は、微かな心の揺らぎや感じ方の変化のなかに隠れている。自らそこに気づけていけたなら、命ある限り、自分自身をどこまでも開花させつづけることが出来る。」ということ。これは、自分の胸の奥で常に響いているコンセプトです。

 

 

自分以外の人びととこんな感覚をわかちあえたら嬉しい!

私にそんな「欲」がでてきました。

 

人と人が全て共感できることはないと思っています。同じ部分、似ている部分、似ていない部分、全く違う部分‥色々な要素のある中で、どこかの一部分だとしても解けあえるくらいに「わかる」感じのする縁に恵まれるなら、そこに「誤解」や「思い込み」が含まれていようが、そんな喜ばしい縁はないと思います。

 

このサイトを通して、そんな出会いがあれば、心から嬉しく思います。

 

 声や筆などを使った表現活動と、父母先祖から受け継いだ文化財などの不動産をプロデュース・保全管理する仕事をしています。それはどれも、生きものや自然現象を相手にするのと似ているという共通点があります。人生をサーフィンのようだと表現する人もいますが、現象という波のようにうねる海面上をサーフィンしているような感覚です。サーフィンをしたことがないくせに、そんな確信を持ってしまいました。うまく乗れることばかりじゃない。達人でも、乗れるときもあり、死に直面することもある。

しかし、その瞬間瞬間をただただ感じつくしていく喜びは、人間というとんでもない存在ならではの、とんでもない遊びなのかもしれません・・・

photo by minafumi

 残念ながら、といったらいいのか、有り難くも、といったらよいのかわかりませんが、私という人間はどんどんと変化していく生きもののようです。一つのことをやりつづける、追究しつづけられるようになろうと努力したこともありましたが、できませんでした。

友人達はそんな私の在りようをおもしろがってくれているような、それで良しとしてくれているように見えます

 

 こんな風にどんどんと変わっていく自分の在り方がたとえ世間と合わないからといって、私の生来の質がそのようなのであれば、それで生きるしかないじゃないか、と諦めました。自分の等身大を知ることができたということでしょうか。今は、そのような自分自身の在り方を生かそうと想っています。

 

 日々、色々なイメージが浮かんでは消えてゆきます。まさにこの瞬間もまだ作ったことのないもののイメージが浮かんでいます。それが現実化するようなら、こちらや企画として開示していこうと思っています。