introduction  /  企画展開催に寄せて

本日は、草木と書と音楽の企画展「巡りゆく生と死のなかに継がれていくこと」にお越しくださいまして、 心よりありがとうございます。  

 

このテーマは、花作家の森直子さんとのご縁あってこそのものでした。お互い、家族にまつわる様々な経験のなかで深まりつづけてきた結果として、私達はここに導かれたのだと思っています。  

 

 

ご縁といえば. . . 出逢えたとか伝わったとか、どちらかといえばポジティブな出来事があったとき「縁があった」といい、出逢えなかった、伝わらなかったとき「縁がなかった」と捉えていました。しかし、出逢えなくとも、伝わらずとも、出会えなかったという縁、伝わらなかったという縁があったのだと、いつしか私はそう思うようになっていました。  

 

 

この文章を書くにあたり、気づいたことがあります。 

書の描き手として、歌い手として、、私がすこし風変わりだということも、ライブやコンサートではなく「音浴」と銘打って音楽会を催していることも、運命的な夫との出逢いも、共に音楽を創りだしている桐山君との出逢いも、そして、この企画を共にさせて頂く直子さんとの出逢いと10年来の繋がりも、その他、私を私たらしめている要素の多くがこの「縁がなかったようにみえる縁」を源や原動力として生まれていたということを。  

 

好きな筈の父を嫌い、好き嫌いを思わないほど一体感を感じていた母を不幸だと思い込んでいた時間は、自己否定的で複雑な性格を育みもしましたが、それは自分自身の内面への鋭敏な目を育ててくれ、私はほんとうはどうありたいのか、本来どうある存在なのかということへ容赦なく肉迫するちからを与えてくれていました。 

親子関係から来る苦しみや問題を解決しようとした道が、生涯の伴侶たる夫へと繋がっていました。 

それまでのような音楽活動が難しくなったことが、桐山君との出逢いに繋がりました。 

父に対して素直になれなくなったきっかけでもある父の仕事が、母と私が経済的に苦労せずにこれたことは確かですし、豊かな出逢いを与えてくれていました。そのひとつが直子さんとの出逢いでした。彼女とことばの範疇外で共有しているものがあるという実感は、お互いが経験してきた家族との込み入った事情が本質的に似ていたことが大きく関係していると思います。 

自虐的で自省的だった性格が、おもしろいかたちで書や音楽として昇華していったのでしょう。 現在の歌い手としてのスタイルは、心から楽しんで取り組めたステージやテレビの裏方の仕事が元になっています。 

いわゆるライブの場にもどこか馴染めず、ライブパフォーマンスそのものもしっくりできなかったことが、自分を変えようとしていた努力を手放したとき、森林浴するように浴びるように音楽に触れていただく「音浴」という発想へと繋がっていました。 

 

マイナスにみえることとプラスにみえることがまるで波のように交互に現れながら、私の人生は次へ次へとドライブしていきましたが、これは私だけに独特に起こっていることなどではなかった。 実は、世界がそのようになっていました。 

 

 

潮の満ち引き、芋虫のからだの伸び縮み、呼気と吸気をくりかえす呼吸、上り下がりする株価や為替、出逢いがあれば別れに至り、誕生があれば死がある. . .多様なリズムをもって連なり繋がっていく大交響の最底辺で、目には見えぬ、耳にも聞えぬけれども、圧倒的に力強い大きな流れがあることを私達は皆、どこかでしっかりと感じ取っているのだと私は思います。 

 

ここにお越しくださったという縁と、ここに縁を持つことのない縁のすべてが、 今まさにこの瞬間もダイナミックに響きあっています。

 

 

2017年6月30日 

織絵 

この企画展の始点であるこの作品「血脈」。

その作者であり、共に企画展の空間構成をさせていただいた森 直子さんが企画展に向けて、文章を寄せてくださいました。

 

「血脈」 

ここ数年、受け入れられない現実を受け入れようと努力しているわが子の心を包もうと、精いっぱいこれで死んでも本望と思えるくらい母をしていました。

狭い部屋、2人で布団を並べて足が触れながら寝ていると、彼女が赤ちゃんだった頃を懐かしく想い出される。そんな日々の中、油絵を描いている娘に「個展をしたらどう?お母さん応援する」と云ったら、娘は「お母さんといっしょにしたい」とそういいました。

様々なことを考えると戸惑いました。友人が「娘さんがそう言ってくれることは、子育てでは奇蹟なこと」と。その言葉に押され、「母子展」を開くことを決め、ちょうど私の花歴40周年の節目にもなりました。
そんな折、父の余命を告げられました。


「血脈」はその個展に展示した作品です。
台風のあと、たまたま出向いた山に、折れて落ちていた樹を「洗い、皮を剥き」を何度も何度も繰り返していくうちに、白くなった枝がまるで骨のように感じてきて、次に、枝分かれを熟考しながら削ぎ落とし、また熟考し削ぎ落とし、選択し作品に仕上がっていきました。それはあたかも私の先祖の歩んだ道や流れの選択に感じました。
娘はこの骨の先端にいる。そして私はその手前にいる。


「母子展」には、「灯り(私の中の家庭の象徴のように思えて創作)」、「美瑛(娘の心が晴れるかな、と宿泊の仕事先に連れて行った想い出の風景)」「違う(柳の枝をいけ、1本一本見つめていると本当に同じものはなく違うんだ、と実感した作品)などを創作。
娘は油絵で、大作「ぬくもり(仕事をしている母親の姿を子どもが見つめているシーン)」、
「こがれる(子どもにとって、自然と“お花”はお生活の一部となっていた、母の帰りを待っているときの懐かしい匂いと景色の想い出の象徴)」、「祖父(私の実父)」、「こもる」「そよぐ」(対作品。風と青空の下で自身のこれからの人生を見つめている人物には、「こもる」日々がありました。悲しさや苦しさも捨てずに、それも大切なものと感じて、一対の作品として描きました)など、母子融合の空間になりました。

おかげさまで、現在は子供たちも私もそして父も穏やかな日々を送っています。


10年来親しくさせていただいている、大辻織絵さんに作品「血脈」をお見せして、真の心に響いて下さったと伺い、私の奥の魂は震える想いでした。
織絵さんと、共振共鳴し、揺らぎ、鳴り響く、目には見えない、聞こえない、一本スッと互いを通る真を感じて、今回のコラボレーションをさせていただけることとなり、北海道より作品を持参し、織絵さんのいのちと魂の表現とともに調和融合いたしました。

目には見えない、聞こえない、だけど確かにあった、いのちと魂のルーツは、今も私たちの中で生きていると実感しながらの、生きる証の表現が完成いたしました。

 

 

花作家 森直子